私は南部カリフォルニアに住んでいましたが、現在は夫のBobとサンホゼに住んでいます。ロサンジェルスで生まれ、育ちました。USCを卒業し、7年前、結婚する直前にサンホゼに引っ越してきました。AppliedMaterialsのソフトウェアエンジニアで、クライアントサーバ環境でのロータスのデータベースアプリケーションの開発をしています。

趣味

スキー ダウンヒルが大好きです。

ビーチ 南カリフォルニアスピリットを受け継いでいます。ビーチが大好き!

旅行 バミューダ諸島、ハワイ、ヨーロッパ、日本、カナダへ行きました。  

フットボール 打倒UCLA!!  

PC MCアクセスの開発。様々なタイプのアプリケーションを作っています。  

人生に必要なもの

人生は、お金、キャリア、家族、趣味、幸せな結婚だけでもたらされるものではありません。確かに、これらはどれも重要なものですから無視するわけにはいきません。けれど、みな一生のうちに消え去ってしまいます。人生には様々なことが起こります。夢のようにすばらしい休暇、重要会議、結婚...すべては はかなく過ぎ去っていくのです。では、これらのことよりも必要なものとは一体何でしょうか。 神の子、イエス・キリストに出会って、私は意義ある人生、目的のある人生を見出しました。イエス・キリストは愛のひとであり、私達の毎日の生活の中に招かれるのを待っていらっしゃいます。主は全知全能で、その力はあらゆるものの上にあり、そして不滅です。この神こそが人生にとって最も必要なのです。神が宇宙を創造し、その子イエス・キリストをこの世に遣わされました。そしてイエス様が私の罪のために十字架にかかって死んでくださったおかげで、私に永遠の命が与えられました。  

まぐれ?

私はずっとクリスチャンだったわけではありません。母は典型的な仏教徒で、父は無神論者でした。(現在は二人とも クリスチャンとして生まれ変わっています) 私が小さかった頃、近所に住んでいた女性が私と姉妹達を教会に誘ってくれたのですが、日曜学校や礼拝は退屈でした。十代になると行くのをやめてしまいました。 高校生になって、人生をどのように生きていけばよいのか分からず、人生の意味を捜し求めるようになりました。ある日「The Cross and the Switchblade」という本を読みました。著者のDavid Wilkersonはイエス様に祈り、ことばを交わし、イエス様とDavidの間には個人的な絆があるようでした。Davidは神から答えを与えられ、人生を導かれました。私はこの話をまるで違う世界のことのように感じました。私がお祈りをするときにいつも抱く気持ちと似ていました。お祈りをしても何も起こらなかったからです。あの日までは。

私は寝室でラジオを聞いていました。KRLAというラジオ局のソフトロックの放送です。その時ふと、神様が本当に存在するのか、神様自身に尋ねてみようと思いました。そのラジオ局では1時間ごとにリスナーが電話で参加するコンテストをやっていました。当選するとプレゼントが当たるというものです。私は神様に言いました。「もしあなたが本当にいらっしゃるのなら、それを証明してください。私にプレゼントが当たるようにしてください。」そしてラジオ局に電話をかけました。呼び出し音が何回か鳴ったので番号を間違えたかなと思ったとき、受話器の向こうから女性の声が聞こえました。「おめでとうございます、今回の数字は10です。あなたからの電話がちょうど10本めでしたので、あなたにはB.B.Kingのアルバムを差し上げます。」すぐにある考えが浮かびました。「運がいいだけよ。遅かれ早かれ当選するはずだったのよ。神様なんているわけないわ。」そしてまた、お祈りしました。「もう一度、当選させてください。あなたが本当に存在することを証明してください。」ラジオ局に電話をすると、さっきと同じ女性が出てこう言いました。「おめでとうございます、今回の数字は7です。あなたからの電話がちょうど7本めですので、B.B.Kingのコンサートチケットを差し上げます。」私は大喜びしました。二度も当選したのです。けれど、すぐに心の中で嫌な声が聞こえました。「神様なんていない。単にラッキーなだけよ。」翌朝、幸せな気分で目覚めましたが、またあの声がしました。「神様なんていない。ラッキーだったのよ。神様はどうやってあらゆる場所にいられるの?神様はどうやってあなたの考えがわかるの?」神様を疑う気持ちでいっぱいになってしまった私は祈りました。「あなたは本当にいるのですか。もう一度、私を当選させてあなたの存在を証明してください。」3回目も当選してTrafficのアルバムが当たりましたが、またあの声がつぶやき、神様を疑いました。私はまた祈り、4回目も当選し、Trafficのコンサートチケットを手に入れました。あの嫌な声は依然として聞こえてきましたが、単なるラッキーとは思えなくなっていました。神様に尋ねました。「私に教会に戻ってほしいですか。もう一度当選させて下さい。そして私の質問に答えて下さい。」5回目も当選でした。もう十分です。想像してみて下さい。KRLAはロサンジェルス中をネットする人気ラジオ局です。そこで2日間で5回も当選したのです。こんな奇妙なことがあるでしょうか。ラジオ局の人達はかなり驚いていました。

私は再び教会へ通うようになりましたが、退屈で時間の無駄だと考えていました。友達は誰も来ません。1ヶ月後、神様に聞いてみました。「本当に教会に来てほしいですか。もし、そうならKRLAの番組で当選させてください。」そして私は当選し、100ドルが当たったのです。神様が示された答えは明解でした。神様は、私に続けて教会へ行ってほしいのです。私は神様のことばに従って教会に行きましたが、人生にこれといって変化はありませんでした。聖書を読んでみましたが、意味がわからず、私には関係のないもののように思われました。神様はそこからの解決を与えてくださる方でした。

生まれ変わるということ

大学時代、ひとりの友人と出会いました。クリスチャンとしての生まれ変わりを経験し、信仰に厚い彼女は、私を困惑させました。彼女によれば、イエス・キリストは人の子でもあり、神の子でもあると言うのです。そんな事は聞いたことがありませんでした。そして悪魔もまた、実在し、神様の敵なのだそうです。「Gailがラジオで当選した時、嫌な声がしたって言ったでしょう。それは悪魔の声なのよ。」と教えてくれました。彼女のおかげで神様を身近に感じるようになり、いろいろなことを知りました。イエス様は、この地上に遣わされ私の罪のために死んでくださったこと、そのために私は救われて神の御国で永遠の命が与えられること、私がしなければならないことはたったひとつ、イエス様を救い主としてまた生涯の主として個人的な招きによって心の内に受け入れること。私はこの教えについて1年以上も考えつづけました。そして復活祭の日、全てがわかったのです。ラジオ番組での当選や、生きる意味についての疑問は、神様が私のために用意してくださったご計画によるものだったのです。私はイエス様にお祈りをしました。私の心の中に入ってきてください、私の罪を取り除いてくださいと。人がこのお祈りをすると、イエス様は私達の心の中に聖霊を送ってくださいます。そして、私達は信仰によって生きる人生をイエス様とともに歩み出すのです。これが生まれ変わるということです。イエス様を人生に受け入れると、イエス様と個人的な関係を進めていくことができます。私は主イエス・キリストとことばを交わし、イエス様の柔らかいやさしい声を聞くようになりました。また聖書を読み、理解できるようになりました。自分だけのために生きるのではなく、主のために生きることを始めました。

クリスチャン生活は楽なものではありません。悪魔が絶えず、信仰を捨てさせようとするからです。悪魔がどんなことをしても私はイエス・キリストへの信仰を捨てる気はありません。この世の全てのものが、結局は過ぎ去っていきます。けれど私達の魂は永遠に生き続けます。では、私達は永遠の命をどこで過ごすのでしょうか。そのことを考えることが重要なのです。マタイの福音書16章26節には、こう記されています。「人はたとい全世界を手に入れても、まことの命を損じたら何の得がありましょう。」この世での人生ははかないものです。しかし聖書は死のあとに訪れる永遠の命について語っています。神とともにのぞむ死、そうでない死についても。人が行うことのできる最も悪いこと、それは永遠の苦難から人類を救おうとなさる神を拒むことです。

主とともに歩む

サンタクルーズ山脈のヘルモン山にあるクリスチャン保養施設を訪れた夏のことです。神様から預言が与えられました。私の友達が一人ずつ教会に来るようになると、神様はおっしゃいました。 私の信仰は次のステップを踏む時期なのだと神様が教えてくれたのです。それは神様のあかしや、クリスチャンとして生まれ変わることの意味を友達に教えることです。生まれ変わることとは、古い自我の死、もはや罪に支配されることのないことを意味します。イエス・キリストを主として、救い主として招くとき、あなたは霊的に新しく生まれ変わるのです。翌年1年を通して、友人達が徐々に教会に来るようになり、その多くが生まれ変わりました。神様の預言通りでした

The Christ Painting

私が初めてクリスチャンに生まれ変わったとき、友人のSteve Tairaと描いた絵がThe ChristPaintingです。私達はこの絵で、イエス様を信じる人達に約束されている美しい天の御国を表現しました。イエス様だけが、罪からの救いのために私達に与えられたただ一人の方であるにもかかわらず、私達の世がイエス様を拒否していることをイエス様は嘆き悲しんでいらっしゃいます。キリストと親しくなることは最大の喜びです。人は本当にキリストと個人的に知りあうことができるのです。

 

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