Bob Kaku's Page - Japanese Version

私は九州で生まれ、サンフランシスコベイエリアのマウンテンビューという町で育ちました。カリフォルニア大学で経営学を専攻し、理学士号を取得しました。卒業後、金融関係の業務をしていましたが、今は情報システムに携わる仕事をしています。サニーベ―ルという町のLockheed Martinで働いています。プログラマーとシステムアナリストの統括、現在は新しいクライアントサーバ統合ソフトパッケージ、SAP R/3の実行が主な仕事です。1989年6月 Gail Nishida

と結婚しました。

趣味

ゴルフ 現在のハンディは21ですが、年々上達しています。Lockheedゴルフリーグチ ームのキャプテンも務めています。

 

旅行 Gailと二人で楽しんでいます。年に一度はしたいと思っています。これまでに

二人でヨーロッパ、カリブ諸島、ハワイ、バミューダ諸島へ行きました。

私達は二人ともスキーをします。特にダウンヒルが好きです。

セーリング 今はあまりやっていませんが、Lido 14のセーリングボートを持っています。

ランニング 若い頃は10Kmランを楽しんでいました。最高記録は42分です。

PC Gailのコンピュータと私のコンピュータは、ネットワークで接続されています。

証し

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私は若い頃に自動車にはねられたことが2度あります。1度目は自転車で登校中、道路を横断していたときのことです。1台の自動車が道路を曲がろうとしたのですが、運転手には私が見えていなかったために接触事故を起こし、私は自転車から投げ出されました。幸い、膝を軽く痛めただけで済みました。2度目は大学2年のときに、最終論文の課題を提出するために、寮から学校へ向かう途中でした。交差点に着いて、何台かの車が止まってくれるのを待ってから、横断歩道を渡りました。ところが中央車線を走っていた1台の車が突っ込んできたのです。私はその場から逃げ出す暇もなく、車と向き合う格好で立ち尽くしました。Volkswagen Carmen Ghiaという低い車体の自動車は私の両脚を直撃しました。そのあと体は空中に投げ飛ばされ、ボンネットの上にすさまじい音をたてて顔からたたきつけられました。起き上がろうとしてボンネットから道路に転げ落ちた私を、そばで見ていた人達が歩道へと運び、救急車を呼んでくれました。鼻と口から出血し、その血は論文にも飛び散っていました。そのとき、偶然にその場を寮の友人が通り過ぎたのです。私は彼に論文を預けて、自分の変わりに提出してくれるように頼みました。これを受け取った教授は、その論文を私自身が書いたものと認めてくれました。論文の成績はAでした。この事故では、鼻を骨折し唇を切りましたが、大事には至りませんでした。ラッキーだと思いました。でも、そこに神様の力が働いたのだとは思いませんでした。

大学を卒業して就職をした頃の私の人生目標は、仕事で成功することと結婚相手を見つけることでした。世間を知り、人並みのことができる自分を誇らしく思っていました。

自分の才能を自慢したり、話題が豊富なこと、恐れるものがないこと、お酒に強いところなどを仲間にみせてやろうと思っていました。

大学卒業後、ある女性を好きになりました。彼女は知的で学歴もよく、魅力的でした。私と似た家庭環境で育ったようでした。4回目のデートのときに、彼女は言いました。「もうあなたとは会えません。」驚いて訳を聞くと、彼女はクリスチャンで、私はクリスチャンではないからという返事でした。ノンクリスチャンの男性と交際することに居心地の悪さを感じているようでした。私はあわてました。そして、自分も神様を信じていること、自分の人生観はキリスト教の教えに近いことなどを彼女に話しました。あのときは、とにかく彼女を説得しようと焦っていました。あと数ヶ月、なんとか彼女と一緒に過ごしたかったのです。けれど彼女はもういちど言いました。「あなたとこれ以上おつきあいするわけにはいきません。」彼女のことがとても好きで、彼女のために何でもするつもりだった私は「わかったよ。君の勝ちだ。教会へ行ってクリスチャンになるよ。」と言い、日曜日に教会へ通い始めました。新しい友達もできると「そんなに悪いところじゃないな。」と感じるようになりました。次に彼女は私をバイブルスタディに誘い、私はまた、こう思いました。「これも彼女のためだ。」

私達二人は別々の教会に通っていました。ある日、牧師がおもしろい話をしました。「神様はあなたを愛してくださるだけではありません。神様はあなたのことが好きなのです。」その単純なことばは私に衝撃を与えました。「神様はあなたのすべてをご存知です。これまでのあなたの言葉、考え、行動、すべてを知り尽くしていらっしゃいます。それでもなお、神様はあなたのことが好きで、愛してくださるのです。」私は「愛」という言葉にいつも戸惑いました。男性が女性を愛するとか、親が子供を愛するというのならわかりますが「神様が私を愛する」「私が神様を愛する」という考えは、 理解に苦しみました。そして次に「好き」ということについて、自分に問いかけました。「もし誰かが僕のことを隅から隅まで知っていて、僕がこれまでに言ったことや考えたこと、してきたことまで全部わかっていたとしたら、その人が僕のことを好きになるわけはないじゃないか。一体、誰が僕を好きになってくれるだろう。」牧師は続けてこう言いました。「神様は全能であり、不可能なことはなにひとつないのです。犯罪を犯してしまった人でさえ、もしその人が悔い改めてイエス様を救い主として個人的に受け入れるなら、神様はその人にもういちどチャンスをあげようといつも望んでいらっしゃるのです。」神についての認識ががらりと変わりました。

牧師から聞いた教えを理解しようと数週間悩み、ときには眠れない夜を過ごしました。ある夜、教会で「立ち上がってイエス・キリストを救い主、主として迎えよう」というメッセージがありました。私の心の中で何かが湧き起こり、私は一歩を踏み出しました。イエス・キリストが神の子であり、私の罪をあがなうために死んで下さったことを信じました。そしてこう思いました。「よし、これでやったぞ。僕はクリスチャンになったんだ。」しかし、実際にクリスチャンになるには程遠かったのです。

イエス様を自分の生活に招き入れた後も、私には大きな問題が残されていました。お酒に目がないことです。スコッチ、バーボン、ラムをたっぷり入れたロングアイランドアイスティー、ウオッカ。勧められるものは何でも飲みました。飲酒運転で帰宅し、翌朝目覚めると、前の晩の記憶が全くなかったり、どうやって家にたどり着いたかも思い出せないことが度々ありました。ある夜には、お酒を飲んだ後フリーウェイを走っていて居眠り運転をしてしまいました。幸い、数秒後に目が覚めて、降りるはずだった出口を通り過ぎてしまったことに気づきました。そしてあの夜、神様は私のもとに御使いを送って下さいました。カリフォルニアハイウェーパトロール員の姿を借りて。私は彼らをやり過ごそうとして、お酒はほんの数杯しか飲んでいないと言いましたが、いくつかテストを受けさせられました。片足で立ったり、両腕を水平に伸ばしたり、首を後ろに傾けたりした時は少しぐらついたような気もしましたが、自分ではうまくごまかせたと思いました。テストが済むと、彼らは私をパトカーに押し付けて、私には黙秘権があること、弁護人と相談する権利があることなどを通告し、手錠をかけました。結局、留置所で一晩を過ごすことになりました。そこには、体が大きくて柄が悪そうな人達が何人かいました。

私には厳しい刑罰が課せられました。アルコールリハビリのクラスを7週間受講すること、アルコール依存症のカウンセリングを2回受けること、郡への奉仕として草刈りと大工仕事を週末に5回することでした。加えて、車の保険率はこの一件ではね上がりました。しかし、これらの罰を受けることよりも大切なことに気づきました。神様が私を私自身から救って下さったことです。私は死んでいたかもしれないし、ケガをしていたかもしれません。他人を殺したり、傷つけていたかもしれません。アルコール中毒になっていたかもしれないのです。そう思うと、今でもぞっとします。

恋人との仲は不安定でした。私がクリスチャンになっても私達二人の間には折り合いのつかないことがたくさんありました。私は彼女との結婚を望みましたが、彼女は拒否し続け、4年後に私はあきらめました。家族や友人は「もうクリスチャンでいる必要はないだろう」と言いましたが、すでに私は人生を神様に委ねたのです。後戻りはできないのです。忠告−クリスチャンがノンクリスチャンと付きあうことはお勧めできません。私のケースのようになることもありますが、多くの場合、クリスチャンがノンクリスチャンに引きずられてしまうからです。

その後、何人かの女性と交際しましたが、結婚したいと思う人はいませんでした。ある夜、祈りのなかで神様に言いました。「神様、私は結婚したいのです。あなたはそれをご存知でしょう。でも、いつもうまくいきません。もし、私の結婚があなたの御心なら、私にふさわしい相手を見つけて下さると信じています。すべてをあなたの御手に委ねます。」2ヶ月後、日本福音同盟が主催するカリフォルニア、ヘルモン山でのキャンプでGailに出会い、約1年後私達は結婚しました。

振り返ってみると、私の人生の中の大きな事件、小さな出来事、すべてが神様の御手の内にあったことがわかります。数年前にGailの新車の、オイルとオイルフィルターを交換しようとしたときのことです。オイルは簡単に抜けたのですが、フィルターはシリンダーブロックの奥にはめ込んであって、なかなか取れませんでした。オイルフィルター用のかなり性能のいいレンチを使っても外れません。1時間以上も悪戦苦闘し、いらついていました。辺りはだんだん暗くなってきます。この際、さっき取り出したオイルをエンジンに戻してサービスステーションまで運転していき、そこでフィルターを取り外してもらおうと考えました。しかし、オイルにはほこりや草が入り込んでいて、もういちどエンジンの中に戻せる状態ではありませんでした。ふと、神様にお願いしようと思いつきました。「主イエス・キリスト、どうぞ力を貸して下さい。」車の下から出て、ガレージへ戻りました。そこでツール棚にオイルフィルター用のレンチが掛かっているのを見つけました。古いタイプの安物だったので捨ててしまおうと思っていたのです。「これを使ってみよう。」と思った後、すぐに「やっぱり、だめだ。うまくいくわけはない。」という考えが浮かびましたが、「なんだって言うんだ。とにかく、やってみよう。」と自分に言い聞かせ、もう一度車の下に潜り込んで古いレンチを使ってみまし。オイルフィルターはすぐに外れました。

ここに書いたようなことを私はたくさん経験しました。主にとって困難な問題はひとつとして存在しないのです。

 

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Created 1/17/98